千英のひとりごと〜 Chie's words 〜

2004/6/27
ふらっと旅気分
 この季節、古都奈良や京都を訪れて小旅行気分を味わう、そんな方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。先日母と二人、舞の研究と参考にと京都島原を訪れました。
 舞の中にはよく「松の位の太夫」という名称が登場します。「松の位の太夫」とは、秦の始皇帝が御幸の途次、雨にあい松の木の下で雨宿りをした際その松に五太夫の爵を与えたことから、太夫を「松の位」という故事からきているそうです。今お稽古して頂いている、常磐津磐の老松」の歌詞に唄われています。そして、「太夫」は京都が始まりでありました。もちろん島原にも「松の位の太夫」が活躍しておりました。あの歌舞伎で有名な、夕霧・伊左衛門の夕霧太夫も大坂へ移る前、元は島原の太夫でした。今でも輪違屋という置屋(太夫や芸妓を派遣する店・現在は御茶屋業として営業中)には、太夫がいらっしゃるとか。
 ところで皆様は島原の名前の由来をご存知でしょうか。島原は歴史上二度移動し、現在の場所にいたりましたが、二度目の時は女人歌舞伎禁制の余波からの移転命令であまりにも急であったため、住人の狼狽がひどく、その様子が当時の九州島原の乱に似ていたことから、「島原」という通称で呼ばれ、正式名称の「西新屋敷」よりも有名になりました。
 私達は、揚屋建築唯一(揚屋とは今の料亭にあたる店)の遺構として国の重要文化財に指定されている角屋へ特別拝観へ伺いました。なるほど、当時の突然の移転、営業の再開のあわただしさが目に浮かぶようでした。というのが、どのお部屋もそれはもう趣向を凝らせて素晴らしいものですが、部屋を継ぎ足し継ぎ足し増築されたとの事で、入り口の障子は二枚ですが、その奥は三枚などと色々な違いを探すとたくさん見つかり、係りの方の説明もあり、楽しいものでした。(要予約)
 最後に、今話題の新撰組の芹沢鴨の暗殺前夜、仕組まれた宴会の開かれた「松の間」を拝見しました。庭の見事な臥龍松(現在は二代目)を愛でながら、後輩たちに勧められるまま酒を酌み千鳥足で家路についたのでしょうか。その夜何が起こるとも知らずに・・・。芝居と歴史と空想の世界に包まれて、私と母の小旅行はとても楽しいものでした。

平成16年 6月27日 千英


臥龍松

2004/5/9
続・・・写真
宮入する本宮一之御柱、前宮の賑わい、前宮二之建御柱

2004/5/9
続・・・写真
諏訪大社鳥居、曳行される本宮二之御柱、宮入する本宮一之御柱

2004/5/9
 気まぐれ旅ときっちり旅、いろいろな旅があるけれど皆様はどのような旅がお好きですか?ふらりふらりと車を走らせて、景色の美しいところがあれば車をとめて日光浴とまんまるおにぎりをほおばって、鼻歌まじりにまた出発。「今日はこれからどうする?明日はどこに行く?」泊まるところもあるような、ないような?そこに素敵な出会いがあれば、幸せは120パーセント。今回の旅はそんなそして不思議な出会いのある旅でした。三泊四日で目一杯動き回り、走り回り、笑いまくりました。
 福井県の永平寺を訪れ、石川県のお墓参りに行き、心に残る美味しいものに出会い、次の日は北アルプスを経て美ヶ原、マイナスイオンたっぷりの霧が峰、エトセトラエトセトラ。すべては語りきれない今回の旅を写真を追って少しご案内します。

 北アルプスの景色は雄大でした。透き通った雪解け水の流れる川原で昼食。

 主人の本籍地の氏神様が諏訪神社で、私の実家の氏神様も諏訪神社・・ならば、どうせ近くまで来たのだから本家の諏訪大社にもお参りしようか?と言って車を走らせたところ、諏訪大社の半被姿の人がたくさんいらして、「諏訪大社にも熱心な信者さんが大勢いらっしゃるんだね」と感心していたところなんのなんの!7年に一度の御柱祭じゃないですか!そのとき御柱祭の事をなにも知らなかった私たちは、とりあえずお参りだけして大阪へ帰ろうと10時半に車をとめました。それにしてもなんと人の賑わっている事だろうと、諏訪大社に向けて歩き出し、その祭りの雄大さに引き込まれ町を練り歩くこと7時間!気が付けば前宮の御柱が立ち上がるまで見届けました。その日は大阪に帰る事ができず、また一泊。
 一日が暮れればその街の温泉を訪ねて疲れを癒し、ねぐらを探し、なんともなんとも楽しい旅でした。

平成16年 5月 9日 千英

北アルプス

2004/4/6
続・・・写真
 

2004/4/6
続・・・写真
 

2004/4/6
美しい季節
 日本がいちばん彩られ美しい季節となりました。皆さまいかがお過ごしでしょうか?私は先日母と二人、京都を散策してまいりました。うっとりとする一日でした。
 花は満開に咲くよりも、蕾が目いっぱいふくらんで咲きかける瞬間が一番美しいと私は感じます。その日はまさにそんな日でした。京阪出町柳駅よりタクシーで北白川天満宮へ向かいました。もう老木の桜でしょうか。四本の色違いの枝垂桜が鳥居の前で春風をうけて、たおやかに咲いていました。お参りしている人はなく、母と二人。心地よい静寂に包まれて清清しい気持ちになりました。それから歩いて哲学の道へ。そちらは花も満開なら人も賑わっていて、「あぁ、春だなぁ」と感じました。気持ちよさそうに咲いている桜の下の茶屋で、五穀米のおにぎりをほおばりました。それが何よりのご馳走!。それからタクシーで知恩院の三門へ向かいました。息を切らせて男坂を上りきると、華頂山をいただいた御影堂がそれは見事でした。写真の苦手な私もその日は天候に恵まれて、とても上手に撮れました。おのぼりさんよろしく、左甚五郎の忘れ傘をツアーの人に混じって見上げ、一緒に「へぇー」と感心する。とっても楽しい気分です。それから二人は円山公園へ。なんと美しい枝垂桜でしょうか。一番状態の良い花を見せていただくのは本当に難しいですよね。その日はいずれも素晴らしかった!自然に感謝です。そして大谷祖廟にてきちんとご先祖様に挨拶して、隣の甘味処に行きおぜんざいをいただきました。そこは雰囲気もよく、とても美味しいお店です。その後、島原の揚屋へ。よく遊ぶでしょう?揚屋のお話はまた後日に。

平成16年 4月 6日 千英

2004/3/5
続・・・写真
 

2004/3/5
奨励賞
 桜の咲く美しい季節となりました。春夏秋冬それぞれに好きだけれど、この季節になると心までも温まり、幸福を感じることの多くなるのは私だけでしょうか?
 鳥たちは恋をしてさえずり、冬、少しさみしそうだった植物たちは競って芽吹き、太陽の光に目を輝かせています。ちょっとしたことに目をとめて鼻歌を歌ったり、話し掛けてみたり。少しおかしいかな?
 幸福といえば、先日私のために盛大なパーティーを開催していただいたこと、本当にうれしく幸せに思います。未熟な私をいつもやさしく導いてくださる御家元や皆様に心から感謝し、奨励賞を戴いたことをこれからの励みにして、また力強く歩んでまいりたいと存じます。
 その折にゆうの会会員の増田利明先生より頂戴いたしましたお祝いの重ね言葉をここでご紹介させていただきます。

目出度やな、ああ目出度やな、目出度やな、
 目出度いことの理(コトワリ)は志賀山流の千英さんが、
  都(ミヤコ)京都の季刊賞・奨励賞を戴かれ、ああ目出度やな、目出度やな、
   目出度き事の重なりは千英さんこの度お目出度と、ああ目出度やな、目出度やな

平成16年 3月 5日 千英

2004/2/5
心斎橋
 人も町も賑わう心斎橋。楽しそうな笑い声とお店の喧騒とした中に、ふと立ち止まって空を見上げたくなる、そんな通りがある。石畳の道を入っていくとレンガ造りの風格のある建物=長崎堂本店= ショーウインドウにはいつも季節を先取りしたアンティークの小物やおもちゃ達が、愉快そうにこちらを眺めている。そして夜ともなれば唄ったり踊ったりしているのだろうか。どこからか聞こえてくるおもちゃのマーチの曲に合わせて・・・。
 店に入り二階はゆったりとしたティーサロン。奥の個室には、百年をゆうに越える古い古いオルゴールがある。そのオルゴールに秘められた思い出があると、ご主人と奥様は語ってくれた。それは昭和五十一年九月ロイヤルホテルでの骨董屋さんの展示会で、音を耳にした奥様が、「他のものは何も欲しいと言わないし、着物もいらないからこのオルゴールが欲しい」とおっしゃった。目を輝かせていらっしゃった奥様の顔が思い浮かぶようだ。ショーウインドウにもみられるように、夢いっぱいの少女のような心を持つ素敵な奥様が、時には町のために獅子奮迅の活躍をなさる。それは二十年程前、女三人なにわ革命≠ニ新聞でも取り上げられとても話題になった。
 町の美化、電柱の地中化工事。市からの「一本の共同溝を造るだけでも四十〜五十億はかかる。植樹はできますが」との返事を、ついには町の活性化モデル地域として町づくりの調査費を計上させたのである。
 今は「子供たちのために」をテーマに、近くの市立南小学校の生徒に町に置くベンチのデザインをしてもらうなど、大人と子供が交わる機会を積極的に作っている。
 長崎堂と町にはいろいろな歴史がある。あのオルゴールはいつまでも温かく見守っていることだろう。
 (はなかつみ 第25号より)

平成16年 2月 5日 千英

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